私は日本で日本人として生まれ、台湾系移民三世というバックグランドを持っています。台湾から渡った祖父の影響で、幼い頃から日本とはちがう文化、習慣に触れることが多く、その影響で海外に興味を持ちました。一方、日本人でありながら、バックグラウンドのために「あなたは日本人じゃない」と言われることに対し、違和感を抱いていました。
「日本人らしさ」とは何か。誰かに押し付けられるものだろうか?
窮屈さを抱えて飛び出したアメリカで出会った、ある日系アメリカ人の方が忘れられません。「僕はアメリカ人で、日本語はほとんど話さないけれど、日本人の祖父を誇りに思う」。人のあり方は多様であっていい。日本人という枠を超えて、自分らしい「個」を確立したのはその頃でした。
日本で大学を卒業し、大学院に進学した私が最初の一年を過ごしたのは、アメリカ南部ルイジアナ州ニューオーリンズ。多様な人種や文化に富む一方、国内で最も格差の大きい街の一つです。当時は社会学を学びながら、貧しい黒人コミュニティで起こる環境問題の現地調査を行っていました。人種差別と紐付いた困難に対し、黒人住民たちは様々な人種の方、様々な立場の方たちと共にコミュニティの問題を訴えていたのです。
「課題解決に必要なのは、多様な力を合わせること」
多様さを活かす道を見出した一方、向き合う課題の大きさと困難さを思い知らされる出来事が起きました。在学中の2005年に異常気象による巨大ハリケーン・カトリーナがニューオーリンズを襲い、低地に住んでいた貧しい黒人たちの命が奪われたのです。人種で生死が決まる厳しい現実に対し無力である自分と、啓発にとどまらない多様性の尊重やサステナビリティが求められていく時代の流れを知りました。
ハリケーンの被災者となった私はオクラホマ州に移り、大学院で英語教育を専攻しながら、講師として様々な国籍の留学生を教えることに。数十ヶ国からの留学生が集まるコミュニティに住みながら、国籍、文化、宗教はもちろん、ジェンダーや価値観も様々な人達と働いた経験は、自分の視野を大きく広げてくれました。多様な人達がそれぞれのちがいを発揮している一方、LGBTQ当事者の方に向けた差別、そんな中でも自分らしくあろうとするゲイの同僚、レズビアンの教員の方の苦悩も垣間見たこともあります。自分と異なる人に対して、「この人はちがう」で終わらない。相手を自分から知ろうとする努力、そして対話をし、共感することを日本で伝えよう。そんな思いは今も変わっていません。
まず自分である個を確立し、他人と対話をしながらちがいを知り、共感する。それがインクルージョンのプロセスであり、組織の力になる。海外のメソッドの受け売りではなく、当事者性と経験にもとづく、日本企業に響くインクルージョンをお伝えいたします。
株式会社Mirary 代表取締役
竹田綾夏 Ayaka Takeda